◎なぜイタスクなのか?

 筆者は特にヨーロッパ贔屓というわけではないので、念のため。イタリアンのフルコースと
懐石料理を比べても断然イタリアン!とは思わない。パスタと蕎麦を比べてもそうだし、キャ
ンティクラシコと長野県塩尻市の井筒ワインも、アルマーニとコナカのスーツも同様。それぞ
れに見るべきところはあると思う。しかるになぜスクーターはイタスクに限るのかというと、そ
れはですね、乗っていてワクワクするからに他ならないのだ。

 ではそのワクワク感はどこから来るのかとその根源を考えると、その車両を作ったメーカー
のブランドヒストリーであったり、製造国の文化の片鱗であったり、国民気質だったりするの
ではないか。クルマよりもさらに趣味性の高いスクーター選びにおいては、ワクワク感じる要
素はもっともっと重視してしかるべきだと思う。なんとなれば今の日本国民は、スクーターで
はなくクルマを買うだけの恵まれた経済力を持つわけだから。そしてスクーターの中でも車
種によってその魅力は異なるけれど、総じてそういうワクワク感を一番上手く醸成しているの
がイタスクだと思う。

 そもそもイタリア人は快楽主義者だという。瑣末な例で恐縮だが、例えばポルノの世界だ
ってイタリアンポルノは、かつて人類が想像だにしなかった分野を追求し快楽を得ることに成
功している。こそこそ見てにやにやする日本の枕絵やエロ本とは趣を異にする発想だ。マニ
アックともとれる快楽主義は、スクーターにおいても健在なのである。アプリリアやピアッジ
オなど各メーカーのサイトに掲載されている企業ポリシーを見ると明快であるが、メーカーと
して利益追求はもちろんのことライディングによってライダーの得る喜びというものを剣に考
え、メーカー自身がそれを楽んで追求している節がある。創始者の思想のみならず、経営者
が間違いなくモーターサイクル好きでモーターサイクル好きが作ったモーターサイクルという
感じが製品に顕著にあらわれている。かつて本田宗一郎氏は二輪に対しての情熱から大き
な夢を描きそれを成就したが、現代のホンダはビジネスの側面以外でそういうプリミティブな
情熱を持っているのかというと必ずしもイエスとはいえないと思うのだ。それはまたイタリアと
日本の工業製品分野での企業風土の差であるのかもしれないけれど。

 ではもうひとつの輸入車といってもよい非ヨーロッパ製、、、アジアン・スクーターはどうか。
キムコや台湾山葉ではダメなのか?と言われれば、「はいダメです」と即座に答える。これ
はクルマでヒュンダイや大宇ではダメなのか?と問われて、「ハイダメです」と答えるのと同
じ理由があるのだ。アジア製のスクーターには独自性がない。広告用語でいうところのUSP
(Unique Selling Proposition)つまり独自の提案が製品に現れていないのだ。スタイリング
は、売れ筋のかっこいいヨーロッパ製(や日本製)を強く意識している、ひどいのになると猿
真似状態。パッケージングの煮詰めも今ひとつ。これはクルマにおいては日本車にもいえる
ことだが、スタイリングやパッケージングは車両を所有する大きなモチベーションになること
は間違いないのでだが、運転していてワクワクしないものはこの世での存在価値がないとこ
こでは言い切ってしまおう。

 日本製のスクーターはどうか?というと、クルマの日本車よりも独自性を発揮しているか
な?とは思う。しかし、縦長ボディーに本来大型であるべきスクリーンを小さくし、シート高も
低い妙ちくりんなデザインが果たしてかっこよいものか。日本のユーザーは自分の審美眼を
疑ってみる必要がある。またメーカー創始者の情熱や思想が製品に現れていないのはどう
したことだろう。かつて自転車に毛が生えたようなバタバタという原動機付自転車を作ってい
たホンダが、当時の最高峰マン島TTレースで優勝するぞ!という無謀ともとれる夢を追い求
め見事にそれを成就した・・・という輝かしいヒストリーが、現代のホンダのスクーターからは
かけらも感じ取るができないのは、非常に寂しいことだと思う。

 そもそも二輪はクルマと同じくヨーロッパ発祥のものだから、日本やアジアは文化的な背
景という意味でも経験という意味でも後発という感は否めない。そんな中で、世界的にメガス
クーターのトレンドを日本のメーカーが創造したということはすばらしいことであると思う。しか
しマシンの魅力はまた別であると思うのだ。
Think about Scooters

Think about
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